あのとき、たしかに、ぼくを

エラーのため『〔新垣結衣〕 ポッキーCM作成中のパンチラNG映像が流出!!.flv』が変換できませんでした。と某アプリケーションが僕にダイアログを突きつけてくる。承諾するしかない。弱い立場だ、もともと。「そういわずにがんばれよ」と言いたい。せめて、河に向かって言いたい。河のほとりに二人で座りたい。石を投げたい。河の表面を滑らせたい。


ああ、女モノの服を買いたいなぁ。こっそりそれを身につけたい。こっそりでいい。そんな素振りを世間に見せたくない。ほんとは「これ着なさい」と強制されたい。


それは確かに、僕自身が世間に対して責任をとりたくないという意志の表明だ。いや違う。もう、世間に対して責任をとり続けるのは疲れたよ、パトラッシュという意志の表明だ。いいじゃないか、たまには弱音を履かせてください。「いいえ、あなたはこれを履くのよ」。


女の格好をして恥辱を感じるというのは女の人に失礼な話なんではないだろうかと常々感じるのだけれど、そうだよね。しかも、その恥辱で興奮するというのだから、手に負えない。ダメだこりゃ。次、行ってみよう。ほんとだ、女の人に失礼な話だ。


「私は日本人の格好をすると恥辱を感じる」という外国人がいたら、ちょっと嫌に感じる人も少なくないような気がするし、それとたぶん同じような気もするのだけれど、ここでそういったことをおおっぴらに話をするのもめんどくさい気がするので、しません。